幸せになるための思考実験。(『ひぐらしのなく頃に解』皆殺し編雑感&祭囃し編予想)

年末は『ひぐらし』に没頭してました。このブログの基本コンセプトからは外れるんですが、「TRPG的に物語の行く末を予想する」という口実で無理矢理書いてみます。ぶっちゃけ、はてなダイアリーで書いた方が色々な人に読んでもらえそうなので(笑)。


(※プレイ中のメモは→流星亭日誌(特設ひぐらし部屋)にて。)
以下、ネタバレ前提に書きますので未プレイの方は読んじゃダメ!


まず最初に但し書き。本編中で示された「真相」の妥当性に関して、自分は(ミステリ的に強引な部分は多々あるものの)一切異議を挟まないものとします。「その世界でそうなってるなら仕方が無い」という割り切りもありますが、個人的に『ひぐらし』という作品の真価は謎解き部分ではなくPLに対する様々な問題提起・テーマ性の深さだと考えるからです。
こういう認識を前提に、今回は(謎解きには乗り遅れたので(笑))祭囃し編でハッピーエンドに到達するためには何が必要か?」を考察してみます。


……さて。
一通りプレイしてみて感じたんですが、『ひぐらし』はミステリ的に「謎を明する」だけの物語ではありません。むしろ重要なのは、登場人物たちが誤解を「消」して相互に「理」しあい、対立から「和」へ向かうことによって困難な問題を「決」していくプロセスではないでしょうか?(以下のテキストにおいて、カギカッコつき・ボールドの「」は今の段落で示した「解消」「理解」「和解」「解決」を意味するものとします)

目明し編から罪滅し編、そして皆殺し編を連続したストーリーとして比べれば、次のような流れが浮かび上がります。

  1. 目明し編:惨劇に到るプロセスの解明という側面は強いが、最終的には詩音という個人レベルにおける「」の物語でもあった。
  2. 罪滅し編梨花以外の登場人物にもループ覚醒の萌芽。部活メンバー同士という集団レベルで「」が成立し、運命に抗う上で大きな前進を果たしたエピソード。
  3. 皆殺し編:沙都子問題を通じて村が一丸になり、旧弊を打ち破った。梨花もループからの脱出と運命への抵抗について決意を新たにする。「皆殺し」でさえ消すことのできない、確たる希望の誕生。罪編の発展形。

……ならば、次の「祭囃し編」でもう一段階先へ進むとすれば、おそらくそれは雛見沢と「東京」あるいは日本全体の「」ではないでしょうか?
あるいは、羽入を橋渡しにした「作品内世界」と「傍観者(=プレイヤー)」のメタ的な融和?


」をキーワードにして残された課題を無理矢理読み解くなら、こんな展開が予想されます。


◆1:雛見沢が「終末作戦」から逃れるためには?◆



対症療法的に原因(鷹野や山狗)を取り除くだけでは無駄、雛見沢外部との和解が必要不可欠。
鷹野を口説き落として翻意させると共に、赤坂との連携が求められるはず*1。……ただし、赤坂に求められるのはアクションヒーロー的な活躍ではなく、もっと地味な中央とのパイプ役かもしれない。
場合によっては「ダム戦争」的な展開の再来? 圭一たちがマスコミを通じて「雛見沢症候群」の存在を公表し(村人への迫害などは生じるかもしれないが、長期的には解決可能なはず)、「東京」がおいそれと手出しできないように国民を味方につけてしまうという戦術もアリだろう。


◆2:オヤシロ様≒羽入の孤独を癒し、協力を取り付けるためには?◆



最後の最後でレナに知覚され、「奇跡を起こせなかった原因」だと指摘されるはにゅー*2
彼女の諦観を打ち砕くためには、はにゅーが決して孤独ではないことを実証する必要がある。
……そこで意外な伏兵としてクローズアップされるかもしれないのが、エンジェルモート常連に代表される萌えオタの存在*3
実は半分以上本気で、「(梨花が視認しているような)羽入の姿を絵に描き、”御神体”として神社に祀る」というのが解決策になりうると信じている。もしかしたら、その役割には前原パパが適任者かもしれない?(画家と言いつつ、その実体はイベント常連の同人作家らしいという描写が繰り返されてるし。w)
村人は絵に描かれた羽入という存在に親しみをもって語りかけ、梨花が羽入の言葉を村人に伝える。……これって「実在する神様」と人間の関係としては、ある意味理想的じゃないだろうか?
まったくの別解として、プレイヤーと劇中人物のメタ的融合という解決手段も勿論アリだけど。


……なんか勢い任せに書き殴ってしまいましたが、ほんの少しでも掠ってたら嬉しいです。ほとんどの謎解きが出尽くした後は、自分なりにハッピーエンドのための「」を考えてみるのも面白いですね♪
TRPG系ブログとして強引にこじつけるなら……場面場面に合わせて自分のキャラの立場で動くだけじゃなく、「どんな流れにすれば面白い話が出来上がるだろう?」みたいな視点でドラマ作りを考えてみるのは有益だと思います。(うちのブログでは最初からそういう考え方を前提にした思考方法やノウハウについて考察中、ということで。<宣伝w)
ともあれ、来年の夏が今から楽しみ楽しみ〜。

*1:赤坂が役立たずに終わったのも、梨花に「自力解決」を意識させるという他に、彼が「雛見沢から見て外部の人間」であったために今回の「解」から除外されたのでは?と解釈することもできる。これは富竹や鷹野に対しても応用可能。

*2:この件は、彼女だけの責任だとは言えない。プレイヤーの多くが「皆殺し編」という題名にミスリードされ、最初から圭一たちの生存を諦めていたのでは? そういう意味では我々も”共犯者”だと言える

*3:メタオチを使わない場合、彼らはプレイヤーの代理役にもなりうる?