視線の違い(2)

さて本題。
TRPGを遊ぶ時は、卓全体において「何を主眼に置いてプレイするのか」という方向性がある程度一致している必要があります。大雑把に分けると「友人知人同士、ダベリの延長で気楽に遊ぶ(TRPGは肴)」のか、「戦闘・探索をメインに置いてシビアなゲームバランスとスリルを満喫する」のか、「キャラクター同士の掛け合いを楽しむ」のか、それとも「ストーリーの充実を目指す」のか。各要素を並立しながら遊ぶにしても、どこをメインにするかくらいは決めておいた方が良いでしょう。
自分でGMをやる場合は方針を明示したほうが上手くいきやすいし、PLをやる場合はGMのシナリオ傾向や癖から方向性を読み取って合わせたり、あるいは直接確認してみた方が良いかと。

……で。今回は「ストーリーテリング重視の卓」に絞って話を進めるわけですが。
この段階までPLの方向性が一致したとしても、その先は意外に厄介です。あるシナリオに対して「どんな展開や結末を望むのか」という意見が食い違った場合、どうやって調停・収拾するか?が非常に難しいからです。
うちの最近のメンツは幸運にも「面白いストーリー」に対する好みやセンスが似ているため、どんな展開が選ばれても全員満足してくれることが多いんですが、正直言ってこういうケースは稀だと思います。

食い違いといっても、「ハッピーエンドか悲劇か?」みたいに極端な対立なら、まだ打つ手はあるんですよね。むしろ、「ハッピーエンド希望者」同士が集まったものの、理想とする展開が少しずつズレているような場合が、非常に難しいと思います*1






そろそろ時効だと思うので、アリアンロッドのオフラインセッションで生じた実例を一つ。

ある村の外れに、空飛ぶ強盗が率いるホムンクルスの盗賊団が巣食い、定期的に村を襲っては食糧を略奪していました。PCは困り果てた村人に盗賊退治を依頼され、盗賊団のアジトに赴きます。
アジトは、かつて一人の錬金術師が住まいとしていた館。そして空飛ぶ強盗は錬金術師の忘れ形見で、戦闘マシンとして改造された天翼族(オルニス)の少女・セリナ*2でした。
セリナは親の愛に餓えていました。”父”である錬金術師から「強さを示すことがおまえの存在意義だ」と教えられていたので、村を襲っては冒険者を呼び寄せ撃退することによって”父の遺志”に応えようとしたのでした。
翼の少女との対決を前に、PCたちは錬金術師の館を探索し、その日記と一枚の絵を見つけていました。錬金術師は病気で妻子を失い、その面影によく似たオルニスの少女を山から攫ってきたのだと、そこで判明します。絵には笑いあう父娘が描かれていたものの、誰が描いたかは不明。
そして、過去の真相が曖昧なまま、翼の娘と対決するクライマックスフェイズに突入。
聖騎士志望のアコライトはセリナに同情するも、やはりその行動は悪であると叱責します。正論で攻められて逆ギレしたセリナはPTに襲いかかり、激闘の末に敗北。
戦闘終了後。存在理由を失って呆然自失のセリナを、ギルドマスターであるメイジの少女が優しく抱き締めます。セリナは堰を切ったように、まるで幼子のように泣き出し……結果的に改心。事件は無事解決したのでした。

セッションが終わった後で、ちょっとした議論になりました。争点を単純化すれば、「理によって諭す」ことを望んだアコライトPLと、「情によって癒す」ことを望んだメイジPLの、どちらが正しかったのか?ということ。
セッション途中で二つのビジョンがぶつかり、GMはメイジの提示したビジョンを選びました。プレイヤーの大半も、この結末に満足してくれました。しかしアコライトPLは、この結果に不満を残したのです。
よくよく話を聞いてみれば、彼は「セリナが錬金術師から本当に愛されていたのか?(実の娘の身代わりとしてではなく、セリナ自身を慈しんでいたのか?)」という事実の確認にこだわり、確証がないので動けなかったというのです。「父娘の絵」を誰が描いたのか、そこに描かれていた少女が”どちら”だったのかを明かさなかったのも、彼にとっては判断材料の不足となったそうです。戦闘前の時点で「錬金術師はセリナ本人に情愛を注いでいた」ことが確信できれば、また対応も変わっていたのだとか。
この話、GMである自分から見れば寝耳に水でした。こちらとしては、過去の真相はどうあれ「今この時点でセリナが愛情に餓えている」ことさえ示せば、あとはPCのフォローによって物語が収束すると思っていたので。「ホールデンの指環」と同様に、当事者の口から事件の全容がはっきり分かってしまうのは味気ないと考えていたせいもあります。

この話題が出るたびに相手も譲らないので、結局どちらが「正しかった」のかは分かりません。ただ確実に言えるのは、GMが気に留めなかった”些細な”部分*3に対してこだわり、判断材料として重きを置くプレイヤーも存在するということですね。
で、ケースを変えて。
「ホールデンの指環」の場合、とあるNPCの生死をGMがプレイヤー側の判断に委ね*4、結果的には不満の出ない形で話がまとまったんですが……仮に「死亡」と「生存」で意見が真っ二つに分かれて双方が譲らなかった場合は、実際問題として何を基準にすればいいのかなあ?と。もちろん「生存派」「死亡派」のそれぞれで明確にシーンイメージがあって、いずれも面白そうな場合ですが*5
こういった部分の具体的なハンドリングテクニックに関しては、まだまだ模索する余地がありますね……。

*1:開始までに「ズレ」が認識できていれば事前調整できるけれど、「同じだと思っていたら実はズレていた」場合は手遅れになるまで気付かないことも多い

*2:エスプガルーダ』のセセリそのまんまな外見・性格の子だと思って下さいw

*3:もちろんこれはGMから見た場合の話

*4:そのNPCをエキストラと定義することで、殺すべきか生かすべきかをPLが自由に決められるようにした

*5:本編中では「生存」を望む声も出たものの、「死んでいた方が話の流れとして自然、エンディングを綺麗に纏められる」「生き残った場合、演出面で持て余す」という明確な理由があったために「死亡」説を採用しました