視線の違い(5)

……うわ、いちばん肝心なコトを書き忘れてました。
ガチガチの吟遊詩人プレイはさておき、プレイ中にPLのアイデアを取り込んでストーリーを改変していく場合、イメージの食い違いや対立を完全に「予防」することは不可能。というか不毛です。なぜなら、予想と食い違い・対立するイメージの中にこそ物語を膨らませるアイデアが隠れていることが多いから。
だとすれば、取るべき手段の一つは「普段から積極的にシーンイメージの折衝を行い、”より面白い展開を取捨選択”する機会を増やして場慣れすること」。つまり積極的に”食い違いや対立”を発生させ、免疫を作ることです。
どんな提案をすれば他の参加者に受け入れられるのか試行錯誤する。一度や二度は自分のアイデアが却下されても凹まない。自分のアイデアばかりが通る場合は(押しの強さに周りがビビったり諦めたりしている恐れもあるので)時には譲歩したり、あまり活躍できない仲間を上手く話に引き込むよう配慮したり。
……そんな風に、1回1回のプレイで着実に積み重ねていくことが必要ですね。セッション終了後に話し合ったりログを読み返したりして、上手くいったポイント・新しいノウハウを見つけたり、反省点や課題を探すのが非常に有効です。*1


もう一つ重要なのは、「ゲームを破綻させる食い違い」とそうでない「ゲームを盛り上げる食い違い」の違いを見極めて、根本的・大局的な部分では参加者が同じ方向を目指してプレイできるような指針を置くことです。

たとえば、友達同士が集まってダベった後、いったん東京駅で解散して自由行動の後に再び集合するとします。ここで「夕方6時に新宿アルタ前集合」と決めておけば、地下鉄を使うにせよ中央線・山手線(外回り/内回り)を使うにせよ、どこへ寄り道したところで確実に合流できるでしょう。しかし集合場所を決めなかった場合、あるいは「新宿駅」とだけ言った場合(西口や南口で待ちぼうけする人が出るかも)、はたまた集合時間を決めなかった場合は? まず間違いなくはぐれてしまうでしょう。こんな事態にならないようにするには、普通は解散前に集合場所と時間を確認するものですが、もし何らかの手違いで忘れていた・あるいは伝え損ねた場合は?→携帯電話やメールで連絡を取り合えばOKですよね。
また、時には誰かの思いつきや気まぐれ、電車の中吊りで得た情報など(笑)から、「集合場所自体を変更しようよ?」という提案が出るかもしれません。新宿ではなく渋谷、あるいは池袋へ……という風に。この場合も仲間への連絡と打診は欠かせませんが、最初に決まっていた新宿行きを止めてまで誘うのですから、皆が興味を示すだけの魅力的な理由や説得力が求められるでしょう。
今の喩えの場合は「事前の確認」が今回予告やハンドアウトやセッション前の話し合いに相当し、「移動中の携帯・メールによる連絡」がセッション中での話し合いによる調整ということになります。ぶっちゃけるのが興醒めなら、オンセなら裏チャンネルやプライベートでもいいし、オフセなら廊下や別室で密談するのもアリでしょう。でも何だかんだで「オープンに話し合う」習慣を作ったほうが上手くいきやすいようです。



「事前のすり合わせ」に話を戻せば、『熱血専用!』や『深淵』のように題名を出せばセッションの方向性が一発で分かるシステムを選ぶというのが、最も分かりやすい方法です。話の骨格が単純でベタベタで分かりやすいほど、PLは安心してシーン演出に専念できるからです。細い支流をたくさん作って「分岐」に迷わせるよりは、幅の広い一本道の方が、その中で様々な「選択」を可能にする場合も多いのです。
ただ……ここで気をつけるべきなのは、「システム自体が許容するプレイスタイルの幅広さ」によって生じるズレや「パターン破り」による混乱。
たとえば前者の場合、もろにアリアンロッドが該当します。GMの設定しだいでD&Dのようなダンジョン巡回ゲームにもなれば、ブレカナのように一回きりの強力なスキルが物を言うヒロイックファンタジーにもなります。アリアンロッドは「オーソドックスなファンタジー」という曖昧な認識のまま始めたら確実にズレが生じるので、今回予告などを利用した事前調整が強く求められるシステムですね。
また、後者の典型的な例はブレカナ。「殺戮者を倒す」ことを基本目的とするはずのブレカナでは、しばしば「殺戮者を赦す/救う」ようなPCやシナリオが見かけられます。PCが殺戮者を倒すことを望まない場合はPC間で軋轢や対立が生じることを避けられないでしょうし、シナリオ自体がパターン破りを意図している場合は「代わりにどこで盛り上げ、カタルシスを発生させるか」を考慮しておく必要もあるでしょう。”不意打ち”や”肩透かし”を全面否定するわけでもないけど、余計な混乱は避けたいところです。


……結局のところ、「PCの方向性を合わせる」というのは「選択肢のない吟遊詩人プレイに付き合わせる」という意味ではありません。迷うべきところで存分に迷い、意見の衝突や葛藤を楽しむためにこそ、時間を浪費するだけの無用な混乱や衝突を招く要素は削っていこう……というコトです。
まぁ、どこからどこまでが有意義でどこからが無意味かという認識にも個人差があるので、一筋縄ではいきませんが。そのへんの境界線を探って歩み寄っていくのも課題ですね。

*1:ちなみに、一般的には「成功よりも失敗から多くの発見がある」とされていますが、個人的には「なんとなく成功してしまったケース」に着目して理由を掘り出すのも同じくらい有意義だと思います。