同じ場所にいても同じシーンに出ているとは限らない?(シーン管理と「登場」の話。)

ばらもすと電話で「オゼロン」8回目の話を色々。最近うちの卓でセッション時間が伸びぎみなのは、全般的にシーン管理が曖昧になっているせいで、”発言するかどうか分からないPCの反応を待つ”という無駄時間が生まれているのも一因ではないか?*1……とか、そういう感じの流れでした。
その解決策として出たのは、「こまめにシーンを切る」「シーンに”登場”するPCは必ず”能動的に話を動かす”か”積極的に発言する”という意志を持つものと定義し、シーン開始前に登場PCをはっきり確認する(≒「特にやることがないのに何となく登場する」のは極力避けてもらうようにする)」「そのシーンの目的や大まかな流れを幕間でぶっちゃけて話し合っておく」……と、いずれも基本に立ち返ったものでした。今まではそうしなくてもフィーリングで何とかなっていたけれど、第2部に入ってからシナリオ毎の情報量やエピソード密度が一層濃くなり、まめに時間管理していく必要が出てきたので……。


で、個人的に目から鱗だったのが”登場”の定義について。
たとえば自分の持ちキャラ・ナイアみたいな”子供ポジション”の場合、「その場にいて皆と一緒に話を聞いた方が流れとしては自然だけれど、特に発言すべきことがない」シーンが幾つかあって、何となく手持ち無沙汰だったんですが……「その”場所”にいるからといって、必ずしもその”シーンに登場している”必要はないんだ」と言われて、驚きつつも「あぁナルホド!」と感心しました。「舞台上に待機してはいるけれどスポットライトが当たっておらず、観客からは存在を無視されている」ような「あえて所在地を確定させず、舞台裏に待機している」状態(※コメントを受けて訂正しました。)だと言えば伝わるでしょうか?
「とりあえず”登場していない”状態を選ぶ」ことで他のPLから気遣いの手間を減らし、シーンの所要時間を短縮。話を聞いていて口を挟みたくなったら、改めて”登場”すればいいだけの話……というわけです。次回から意識してみよう〜。


(※)05/20追記。
考えてみたら、「リアルタイム進行の舞台劇」に喩えたのも思い違いの原因だったようです。どちらかといえば、ビデオや映画といった「後付け編集可能な映像媒体」に置き換えた方が、すんなり理解できそう。「登場」を宣言した途端、過去に遡って「実はそこにいた」ことになるわけですから。
「舞台裏」という言葉は、演劇から切り離してもっと曖昧に考えた方がいいみたいですね。


他にも、シーンの切り方に関して「会話シーンを作るのは、登場人物が”互いに”台詞を出しあう場合でなければ意義が薄い。一方的な説明に終始する場合は”PLに対して”適度に端折った形で行い、反応して何か言いたくなった時に改めてシーンを作るほうがいい」→「会話になるか一方的な説明になるか事前に分からない場合は、シーン開始前に当事者間で意思確認を行ったほうがいい」とか、「場所と登場人物が全く同じでも、話題が変わるごとにシーンを切り替えるくらいでもいいんじゃないか?」という話が出て面白かったです。

*1:「1回のシナリオの中でPCほぼ全員のドラマが同時に動いているから」という理由もあるけれど、これは魅力的な要素なので特に問題視しないことに。