『物語生成ツール』として見たTRPGの自由度は?(2)

前回の続きというか、補足というか。
こないだの記事は携帯から書き殴ったためか、文章粗いですねー。ただ、あの文章の全部がリンク先への「反論」というわけではなく、そこから触発されて考えたTRPGのノウハウ論も含んでる……ということで。紛らわしくてゴメンなさい。


さてさて。
小説ジャンルや文芸評論の側から出てきた「TRPG=自由に物語を作れるツール」という謳い文句が、多分に理想や幻想を含んでいるのは確かだと思います。ていうか(特に、小説とTRPGの両方を出していた角川・富士見系に顕著ですが)、おそらく「自由」というのは「”読者”という受け身の立場から一歩踏み込んで”物語の当事者・主役”という立場に身を置き、ストーリーに介入したり改変できる」という程度の軽いニュアンスじゃないかと。
で、実際に遊んでみると参加者間で「自由」の定義にズレが生じて、評論家が言うほど無制限に物語を編み出せるわけではない。たしかに、幻想論は話半分に捉えたほうが無難ですね。
もうちょい付け加えるなら、個人創作と比べた場合のTRPGは「他の参加者が出した設定やアイデアを取り込み、相乗効果的に膨らませることができる」という積極的なメリットと、「個人で全ての設定や展開・台詞を考えなくても一応ストーリーを完結させることができる」という代替物的な消極的メリットを、共に内包していると思います。後者的な「お手軽さ」だけを求めて身勝手に動く参加者(PL/GM問わず)は、そりゃまあ嫌われても仕方ないわけで。


で……前回言いたかったのは、具体的な物語生成ルールに踏み込んだ後の段階において「各個のシステム/ルールギミック/レギュレーション/シナリオは、ただ単に参加者を縛りつけて自由を奪うだけにすぎないのか?」ということ。
ストーリーの方向性を明示し、絞り込むことは、「そのセッションにおいて何を考えればいいのか」を浮き彫りにし、参加者の発想をブーストします。セッション開始前の様々な取り決めや約束事を設定するのも、ストーリーを「自由に」編んでいく過程の一つであり、プレイヤー側からも選択・改変できる要素なのだから、一方的な制約とは言えないのではないか?と言いたかったワケです。
システムを選ぶのも、極端な話「そのGMが運営する卓に参加する」という選択自体も、その時点である程度の方向性提示に合意したと見なせるわけで。
ただ、多くの場合、参加者は細かい「物語生成ルール」を全て決めるわけではありません。経験則や暗黙の了解で何となく理解した気になり、自覚・意識していなかった要素が実プレイ中に表出して揉めたりすることは多々あるようです。だから、(参加者個々の癖や嗜好・志向は経験的に暗黙の了解として取り入れるとしても)、ストーリー構築上どうしても必要な部分をGMが事前に決めて周知したり、PLがレギュレーションやシナリオに希望を出したりするのは、無粋でも何でもないと思うんですけどねえ。
たとえば……GMからの押し付けと見なされがちな予告やハンドアウトにしたって、うちの鳥取ではPLの要望を聞き入れてそれ自体を変更・微調整したり*1、「ハンドアウトに合わせて出来上がったPCの個性や設定」がフィードバックしてシナリオ本編を大きく改変したり。*2


結局のところ、いつも繰り返しているように。「ツールやルールに使われ・振り回されるよりも、それらを快適に使いこなしていけば、ストーリー生成の「自由度」はより高まるんじゃないかなあ?」という趣旨の話でしたとさ。

*1:分かりやすい例だと、「ホールデンの指輪」でPCの年齢に合わせて”過去に起こった悲劇”の年代を調整したり。

*2:またもや手前味噌ですが「アスフォデルの巫女」A/Bが好例。同一のシナリオとハンドアウトを用いていながら、各卓のPCの設定/性格によって全く雰囲気の違うストーリーが成立しています。