蛇足:「ゲーム性」って何なんだろう?

で。改めて最近の自分たちがやってるセッションを振り返ると、あまりにもスムーズに話が進んでいるので一見「ゲーム性が乏しい」ように感じられるんじゃないかなあ?と思います*1
ここで言う「ゲーム性」とは、PLの前に障害を配置して「どうやって突破しよう?」と悩ませることだったり、GMが事態の真相を隠しておいて推理させた上で「正解に達するまでは話が動かない/誤った推理をすると状況が悪化する」という形で悩ませることだったり、とにかく「PLvsGM」という色が濃いわけですが……、
でも本当に「ゲーム性」っていうのはそれだけなのかな?と。
前項で軽く触れたように「PLがGM化していく」と、必然的に「PLvsGM」という対立構造は薄れていきます。その代わり、GMの果たすべき司会・裏方的役割と見られがちだった「セッションの円滑進行」や「より面白いストーリーラインの創案」が新たな「ゲーム性」としてクローズアップされてくるんじゃないか……と、自分は考えます。
イメージを出す人間が増えれば話も面白くなるけれど、その分イメージ同士の衝突やせめぎあいも増えるわけで。他のPLやGMが持つビジョンと上手く折り合いをつけ、時には取り込んだり融合させたり、流れに合わないビジョンは潔く自分で取り下げたり修正したり……そういった匙加減や舵取りを意識的にこなせるようになれば、「ストーリーゲーム」としてのTRPGを一層楽しめるはず。

この部分を追究していくと……GMが障害を配置してPCを足止めし、その突破方法について悩ませるという「対立の図式」は、必ずしもTRPGに不可欠だとは言えないのかも?*2
もちろん従来式のゲームゲームしたTRPGセッション(「障害を克服する楽しみ」を主眼としたもの)が無意味だとか撲滅すべきだとか言いたいわけじゃありません。ただ……少なくとも、GM/PL双方の目的が「ストーリーの停滞を避けて、円滑にドラマを進行させる」という点で一致している場合は、従来的な「足止め」は邪魔になりやすいということです。

*1:戦闘や行為判定はさておく

*2:さらに蛇足。ギャルゲーやノベルゲームの世界でも、難易度の低さ=障害の少なさが「ゲーム性の欠如」として批判されることが多々ありますね。この場合は「選択」や「解釈」といった視点から切り返せるんだけど。