ハンドアウトは自由を奪うか?

ハンドアウトの基本的な役割は「PCがシナリオと関わりやすくなるような作成条件*1と立ち位置*2を事前説明し、セッションの円滑進行を促す」こと。
シナリオとの接点を明示することで、PCの地蔵化も逸脱も*3共に予防でき、初心者PLでもストーリーに関与しやすくなる……というのが、ハンドアウト肯定派の主な意見。
これに対し、否定派は「セッションの方向性についてGMの思惑が露骨に示されすぎ、PC作成・プレイングの両面においてPLの自由度を奪う」というハンドアウト害悪説と、ハンドアウトの効用を認めつつも「上級者ならハンドアウトを使わずともシナリオに擦り合わせを行うことが可能。ハンドアウトに無い立ち位置やキャラでの参加を制限されたくない」という経験則上位互換説に大別できます。


ただ……こうした議論を見ていると、ハンドアウトは束縛でしかないのか?」という疑問が。また、ハンドアウトがプレイングの画一化につながる(初心者を底上げする一方で、”中級者”は思考停止により上達を妨げられ、”上級者”には足枷になる)という見方にも首を傾げてしまいます。「より面白くハンドアウトを使いこなす」という発想は出てこないのかなあ?と。




◆1.「ハンドアウト(とシナリオ概要予告)はメタ情報である」◆


FEAR系TRPGにおけるハンドアウトが旧来のそれ*4と大きく異なるのは、原則として「PCではなくPLに対して提示される*5」「特定PLへの秘匿情報ではなく、全PLに対する公開情報である」という点です。
まわりくどい表現になってしまいましたが、要するにハンドアウトはメタ情報である」ということ。すべてのハンドアウトを読み比べることで、PLはセッション内における人物関係や物語の推移を予測して動きやすくなります。
個別導入でPC同士に全く面識がないのに、PLが機転を利かせて自発的に遭遇シーンを作り、物語をスムーズに進める。PC間の対立や和解を、セッション序盤から伏線を張って段階的に盛り上げる……など、あらかじめシナリオ概要や人物関係を知っていればこそ出来る演出や進行テクニックは山ほどあります。
FEAR系のリプレイでは社長(『アルシャード』のリナ、『ダブルクロス・オリジン』の大宙ヒカルなど)のメタプレイが好例。ハンドアウトの人物関係から展開を先読みし、場の流れをコントロールするテクニックは、ハンドアウトに縛られるどころか逆に「ハンドアウトがあるから大胆に動ける」ことの証ですね。


逆に、せっかくハンドアウトを用意してもPLが「自分のハンドアウトとコネ」にしか興味を持たなかったり、GMがPC同士の合流について全く配慮していない(PCを分断するだけの)個別導入を用意したり……というのは、避けた方が良いでしょう。



(☆追記)



なお、PC枠とハンドアウトには「PL間の役割分担を明確化する(重複を避ける)」という意義もあります。
PC番号が若いほど「主役≒主観的な立場からシナリオに関与する物語の中心的存在」、逆にPC番号が大きくなるにつれて「脇役≒外縁部からストーリーを俯瞰し、場の流れをコントロールする存在」になるという傾向があります。PC3以降は経験者やメタプレイヤー向けとも言えるでしょう*6
ボケ役ばかりでは漫才が成立しない、戦隊物がレッドだけでは話にならないのと同様ですね。


◆2.「アイデアの供給源、新たな物語の提案」としてのハンドアウト


セッション失敗に対する予防的措置としてのハンドアウト使用は、「好き勝手にキャラを作らせたらシナリオと噛み合わない」という悲観的な前提に基づいています。
しかし、ハンドアウトは本当に「やむをえず使う」程度にすぎないものでしょうか?


TRPGのデータやルールには、PLに新たなアイデアを提示するという効果もあります。たとえばアリアンロッドRPGなら、銃を使えるアルケミストガンスリンガーがルールに設定されているおかげで、「ファンタジー世界で西部劇風のキャラを演じる」ことも可能になっている……という具合。
同じく、ハンドアウトGMが提案する物語と配役」という形でPLに新たな刺激を与えることができます。たとえば「PC全員が海賊船団のクルーで、首領・元捕虜の凄腕戦士・一芸を買われて同船した雇われ冒険者(特技は魔法でも歌でも盗賊スキルでも何でも良い、等)」みたいに偏ったセッションは、GMがセッティングしない限り滅多にできませんし。(……とはいえ、ことさらに奇をてらう必要もありませんが。)
さらに、多くの場合、ハンドアウトはPCの個性や人物像を半分も決定づけません。実際には、戦闘データにせよ性格的なディティールにせよセッションでの立ち回り方にせよ、PLのオリジナリティが色濃く反映されるはずです。これは一度でも同じシナリオやハンドアウトで複数回のセッションを行った経験があれば*7、容易に理解できると思います。
シナリオに囚われないで「自分好みの自由なキャラ」を作るのも楽しいけれど(どちらかといえば、これはGMがPCの設定を拾ってくれるキャンペーン向き?)、GMが出した「お題」から発想を広げて、普段やらないようなキャラに挑戦してみるのも面白いですよ♪


またもや手前味噌な例になりますが、アリアンロッドのオンセ「#アスフォデルの巫女」では「PC1=両手剣使いで、魔女と化したNPCの巫女と恋仲だった王子」という縛りの強いハンドアウトにも関わらず、全く対照的な個性を持つ2人のPCが生まれています。婚約者役のPC2についても同様で、それぞれの個性は物語の流れやプレイスタイルにまで密接に影響を与え、ストーリーラインはほぼ同じなのに全く雰囲気の違うセッションになりました。(※A組ログは現在編集中、近日公開予定です)
巫女シナリオの場合は「1シナリオ2セッション」が決まった時点で意図的に差別化を狙ってPCをデザインしたことも事実ですが、普通にプレイしていても個人差は反映されると思います。
ハンドアウトで示される配役はあくまでも出発点であって、決して行き止まりではないというわけです。


◆3.ハンドアウトの変形と応用◆


それでも「ハンドアウトに”縛られる”のが嫌」という感覚が抜けない人には、こんな抜け道も。ただし卓の合意が必要な方法なので御注意。


昔からキャンペーンで多用されてきた「主役シナリオ」という手法があります。これは特定PCをその回の主役に据え、仲間が引き立て役を演じるというものですが、「主役PC=PC1、仲間=PC1にコネを持つPC2〜3の集団」であると解釈することもできます。
これは「経験的にハンドアウトと似たテクニックが使われてきた」ことだけでなく、別の可能性も示唆しています。つまり、必ずしもハンドアウトの数とPCの人数が一致する必要はないのでは?ということ。
たとえば、4人用シナリオで必須PC枠(今でっちあげた造語ですが、要するに「シナリオを成立させるために最低限必要で、PCのうち必ず誰かが取得してほしい」という扱いのもの。)とハンドアウトを2〜3人分だけ用意し、残りは空白にしておいて”経験者”PLに自作してもらう*8。あるいは逆に、PC4人に対して必須3/自由選択2〜3(または必須2/自由3〜4等)の割合で余分にPC枠を用意し、選択の余地を広げるとか。後者はPC人数そのものが不確定な場合にも応用可能ですね。


また、シナリオに矛盾が生じなければハンドアウト自体を修正してPCの設定に取り込むことも可能なわけで(たとえば「特定NPCへの復讐」という条件を満たせばOKなら、「親の仇を追っている」→「自分自身が屈辱的な敗北を喫した」に変更しても支障は少ないでしょう)、ハンドアウトを杓子定規に適用して勝手に縛られる必要などありません*9


(※12/24追記)
PLによるハンドアウトへの介入を突き詰めていくと、「ポリモーフィズム的ハンドアウト」紙魚砂日記さん)が魅力的ですね。「全PCへの共通目的を提示→細かい動機や設定はPLが自作」というパターンは、たとえば『仮面ライダー龍騎』や『Fate/stay night』みたいなバトロワ系セッションと相性が良いのでは?と思います。




既に述べたように、ハンドアウトを厳守してさえ、キャラ設定や実際のプレイングによって”オリジナリティ”は存分に主張できます。
ハンドアウト=制約」と考える人ほど、その活用方法について思考停止に陥り、自縄自縛や否定のための否定に陥っている場合が多いのではないでしょうか?

*1:推奨クラス等

*2:事件に関わる経緯やコネ等

*3:消極的/積極的の両極端ではありますが、いずれも「シナリオの本筋と噛み合わない」という点では同質。

*4:クトゥルフの呼び声』の頃にまで遡れると思いますが、要は「情報を記した紙片を手渡す」という字義通りのハンドアウト

*5:ワンオフシナリオではPC作成前に提示されることが多い。逆に旧来のハンドアウトは、既に出来上がったPCに対して渡されることが多い

*6:だからと言ってPC1が初心者向けというわけでもなく、PC1を魅力的に演じるにはイメージの受信能力や決断力が要求されますが。不慣れな人を主役に置いて周りで盛り立てるのも有効です

*7:あるいは、同じ市販シナリオを使ったプレイリポートを読み比べてみても良いでしょう

*8:ハンドアウト=(設定を)手渡す」という字義には矛盾しますが、大目に見てください

*9:もちろん、最低限押さえてほしいポイントまで無視してシナリオから逸脱するのは避けるべき。そのためのハンドアウトですから。